わ~ん
- 2015/05/06
- 13:29

婦長さんが亡くなってしまった。去年の1月お腹が痛いというので念のため血液検査をしたら、ちょっと肝機能が悪く胆石でもあるかなと病院に紹介したら、すでにかなり悪くなっていた。しばらくは自分の医師としての未熟さ・無力さを呪っていたが,婦長さんはただ迷惑掛けて皆さんに申し訳ないとだけ言って1年半も闘病生活・・・最後まで泣き言一つ言わなかった。
初めてお会いしたのは、小学校の時だ。たぶん婦長さんは看護師成り立てだったと思う。婦長さんちでいただいたビワが大変おいしくそれからビワが大好物となった。今でも忘れないのは父親が脳梗塞で倒れて、しかたなく自宅の診療所に戻ったときだ。当時失語症でほとんど喋れなくなっていた父親を支えながら診療を続けていたのであったが、たぶん大学の診療が終わってもう夕方になっていたと思う。婦長さんが私のかをお見るなり涙を浮かべて出迎えてくれた。そして「ただしちゃんはなにもしなくていいのよここにすわっているだけで私がすべてやるから」といってなんともうれしそうにてきぱき仕事をしてくれた。たまに私が患者に絵を描いて説明したらすかさず何枚もコピーして保存していた。
わ~ん
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